漫画・縄文の食卓

5000年前の青森三内丸山に暮らす縄文人が、津軽の方言で会話する漫画『縄文の食卓』

縄文の食卓

縄文ストーンサークルの謎

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おそらく国内のストーンサークル(環状列石)で一番有名なのは、秋田の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)ではないでしょうか。

縄文時代ストーンサークルは日本各地で見つかっていますが、その半数近くが秋田県内に存在しています。

 

 

そして、三内丸山遺跡から車で南に進むこと20分、国指定史跡「小牧野遺跡(こまきのいせき)」でも大きなストーンサークルが発掘されました。

 

小牧野遺跡は縄文後期の遺跡なので、縄文中期まで人が住んでいたとされる三内丸山遺跡とは年代が違います。しかし状況的に全く無関係とも思えません。

 

実は三内丸山遺跡にも環状列石墓が見つかっています。年代的には小牧野の方よりも古いわけですが、大人のお墓だと考えられ、それも集落にとって重要な人物のお墓だったようです。

 

となると、小牧野ストーンサークルは、時を経て何らかの理由で少し南に移動した、三内丸山の村人達が作ったのでしょうか…?

 

 

ストーンサークルが何のために作られたのかは、「諸説あります」と言う言葉で語られることが多々あります。つまり、現状で断定するのは難しいと言うことです。祭祀施設説、日時計説、共同墓地説など様々な説があります。それら全てのための複合施設という意見もあります。

 

 

三内丸山遺跡の環状列石がお墓だとすると、わずか車で20分の場所にある小牧野ストーンサークルも、やっぱりお墓なのでしょうか。

 

小牧野ストーンサークルの外側の直径は、35mとかなり大きなものです。

もしこれがお墓だったっとしたら、相当な有力人物(村長?)だったのではとも考えられます。

 

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資料を読んだ時、僕の頭の中に絵のイメージが広がりました。

鬱蒼と茂った森の中で、多くの人々に慕われた村長の大きなお墓が、静かに祀られている、そんな場面です。

 

残念ながら年代的にうちの漫画と小牧野遺跡を繋げるのは難しいのですが、以前漫画の中で祭事のシーンを描きました。このときストーンサークルの事が頭をよぎったのですが、「あれはお墓じゃないの?」ということと、何の施設か自分の中ではっきり出来なかったので描くのを避けました。

 

そのため、「その時だけの祭壇を作る」という、どうにでも出来そうな描き方(笑)にしておきました。ちょうど現代のお祭りで、広場に簡易ステージを作ったりするような感覚です。

 

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ただ、今は「村長のお墓説」が一番しっくりきています。

あくまで素人の個人的な想いと、絵的にもそれが一番しっくりくるって事なんですけどね。

 

今回はこの辺で。

 

 

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参考:小牧野遺跡発掘調査報告書、日本のストーンサークルを考察する、北海道・北東北の縄文遺跡群HP、特別史跡三内丸山遺跡 公式HP